大丈夫、キミならできるよ。

 20XX年、秋の終わり。
 もうすっかり冷たくなった空気を、矢が切り裂いていく。
 すぅ、とその空気を体に入れて月子が放った矢は、彼方の的のすぐ右に突き刺さった。
「夜久・・・不調だな・・・」
「これで十回連続外してます・・・」
 小さく囁かれるその言葉は、しっかりと月子の耳にも入っていた。
 ミスが続くたびに、焦りが生まれる。精神勝負の弓道で、心が乱れるのは命取り。
 それは、分かっているのだけれど。
「一回、休憩しよう」  龍之介があまりの月子の不調を見かねて口を開いた。
 月子は弓を置くと、そのまま無言で弓道場を後にしようと扉の方へ向かう。雰囲気は、まるでこの世の終わり、とでも言うよう。
 引き止めるのも近寄るのもできがたい、そんなオーラに為す術もなく、ただそれを遠くから見守るだけの部員を横目に、一人月子に歩み寄る部員。今にも見えなくなりそうな月子の背中を、その部員は急いで追った。
「先輩!」
 弓道場から出て、校舎に入る直前で呼び止められた月子が振り返ると。
「あ、梓くん・・・」
「ちょっと、いいですか?」
 その言葉と共に差し出された手を、月子は取った。

「ハイ、先輩」
 梓は二つ持っていたいちごオレのうちの一つをベンチに座る月子に手渡すと、自分もその隣に座った。
「どうしたんですか?いつもの先輩らしくない」
 パックにストローを挿しながら尋ねる梓に、月子は少ししてから口を開いた。
「金久保先輩が引退して、宮地君が部長になって、新しい弓道部がスタートして。やっぱりちょっと寂しくなったりしてね、もうすぐ冬だな、って思ったら、ああ、この冬が終わると私たちが一番上なんだ、もっとしっかりしなきゃ、お手本にならなきゃ、って思って…。だけど、全然思い通りになんかいかなくて。全然頼りないし、部の雰囲気は悪くしちゃうし、ごめんね、なんか・・・」
「先輩のそういうところ、すきですよ」
 一気に心のうちを明かした月子に、梓は優しく言う。それを聞いて、月子は頬を真っ赤に染めた。
「ちょ、ちょっと!何いってるの!」
「だってその通りですもん」
 いちごオレを一口飲んで、梓は続ける。
「先輩自身のことにも、僕たちのことにも、一生懸命になってくれる。僕は、それが先輩のいいところだと思っていますし、そんな先輩がだいすきです」
 月子はきょとんとして、続く梓の言葉を聞く。
「でも、先輩は時々、一生懸命になり過ぎてしまうところがあります」
 月子の大きな瞳に、梓の顔が写った。
「ずっと一生懸命だと、疲れちゃいますよ?時々、肩の力を抜かないと、さっきみたいに先輩の持っている力を発揮できなくなっちゃいます」
 その言葉に、月子は目を潤ませる。それを見て、梓はいたずらっぽく笑った。
「あれ?いいこと言い過ぎて感動させちゃいました?」
「そ、そうじゃないし!目にゴミ、入っただけだし!」
「先輩、顔真っ赤です」
「もう!大体もしそうでもそれは梓くんじゃなくて私の台詞でしょ!」
「そんなに騒ぐと、いちごオレで弓道衣汚しますよ?」
 梓の言葉にはっとした月子は、慌てて大人しくなった。
「先輩ばかり頑張らなくていいんです。ちょっと大変になってきたな、と思ったら、周りを頼ってください。僕も、できる限りサポートしますから」
「・・・ありがとう、梓くん」
 ふわっとした笑みを、月子は浮かべる。それを見て、梓も笑った。
「先輩が飲み終わったら、戻りましょう。そろそろ部長の眉間のしわの深さが、ピークになる頃だと思うので」
「うん、そうだね」
 ここに座った時とは全く違う雰囲気と、いちごオレの甘い香りが辺りを包んでいた。

 弓道場に戻ると、部員が一斉に月子の方を見た。龍之介が、歩み寄ってくる。
「あの、夜ひs・・・」
「すいませんでした!」
 月子は深々と頭を下げた。
「勝手な行動で、雰囲気悪くしました!今後はこんなことがないように気をつけます!!」
 突然の出来事に、部員も龍之介も目を丸くしている。一人、梓だけは後ろから月子を見守っていた。
「・・・まあ、無理すんなよ」
 龍之介は短く、しかし柔らかくそう言うと、部員に休憩の終了を告げた。あまりにあっさりした龍之介の言葉に、今度は月子が目を丸くする。
「それだけ、みんなが心配してたってことですよ、先輩」
 月子の肩を優しく叩きながらそう言うと、梓は自分の弓の置いてある場所へと歩いていった。
「・・・ありがとう」
 月子は小さく呟くと、さっき置いた弓の元へ行き、そっと持ち上げた。

 先程より冷たくなったと感じる空気を、月子は体いっぱいに取り込む。矢を引いて、心を落ち着かせて。
 一瞬、全ての音が消えた瞬間に放たれた矢は、ターン!!とすがすがしい音を立て、的のほぼ中心に当たった。
「おお・・・!」
「やっと夜久らしい弓になった」
 あちらこちらで安堵の声が聞こえる。
「その調子ですよ、先輩」
 梓の声に、月子は笑って頷いた。

2011.3.29  fin.