あしたははれる
―――――………
「なんで…」
振り返らないまま、梓が言う。
「なんでそんなこと言うんだよ!言えるわけないじゃんか!!」
その大きな声に、翼はびっくりして腕を離した。
「翼と出会って、何年も経って、沢山遊んで、僕の他のどの友達にも負けないくらい大切な翼に、転校するなんて、離れ離れになるなんて、そんなこと簡単に言えるわけ…」
うつむいた梓の肩から、ランドセルが地面にずり落ちる。
「言えてたら…もっと早く言ってたよ…。突然お父さんやお母さんに引っ越す、って言われて、それも遠いところだって言われて、今度いつ翼に会えるか分からないって、だけど翼と一緒にいれるのはあとほんの少しだけだって、僕だって良く分からないままなのに、翼にさよならを言わなきゃいけないなんて、そんなの…っ」
トスン、と軽い衝撃が梓の背中に伝わった。
「ごめん、梓、僕が悪かった」
翼の体温が、梓に広がっていく。
「梓はいっつも、僕のこと考えてくれてた。どんなときでも、梓は僕のそばにいてくれた。話を聞いてくれた。友達でいてくれた。それなのに、僕は梓に頼りっきりだった」
「翼…」
「梓が僕のそばからいなくなっちゃうことが、とても怖いんだ」
初めて、梓と翼が出会ったあの日。つらくて仕方なかった毎日に、梓は手を差し伸べてくれた。まだ見たことがない、新しい世界を見せてくれた。
梓がいなかったら、きっと翼は今ここにはいない。
「梓がいるのが当たり前だったから。梓がしてくれるのが当たり前だったから。でも違うんだよな、それは当たり前なんかじゃないんだ。僕は、それをずっと分かってなかったんだ」
だからこそ、梓にはきちんと、自分の思いを伝えたい。
「今までありがとう、梓。これからはきっと、僕一人でも大丈夫」
「翼は…寂しくないの…?それこそ、僕がいないほうがいいの…?」
梓が初めて後ろを振り向いた。頬には、涙の道ができている。
「寂しいよ。寂しいし、さっき言ったみたいに梓が僕のそばからいなくなっちゃうのが、とても怖い。でもね」
目から溢れかけていた涙を袖でぬぐって、翼は言う。
「僕の中には、梓との思い出がいっぱいあるから。僕の心には、梓がいてくれるから。離れてても、近くにいるような、そんな気持ちになれるから。だって梓、同じ空の下にいるんだよ?一生、何があっても会えないって訳じゃないんだ。そうでしょ?」
翼の言葉に、梓は頷きながら手の甲で目をこする。
二人がどう頑張っても、現実が変えられないのだとしたら。そのときは、訪れる現実を、できるだけ最高のものにすればいい。
困難な道かもしれないけれど、無理な道ではないのだから。
「帰ろう、梓」
翼は笑って、手を差し出した。その手を、梓は優しく握る。
「これから梓とさよならするまでに、またいっぱい思い出を作ろ」
「うん」
ランドセルを拾って、二人は家族の待つ家へと向かう。
「あ、ほら、見て、梓」
翼が指差した方には、大きな夕陽の姿。
「きれいなオレンジ色だね」
「きっと、明日もいいお天気だよ」
「グラウンドで遊べるといいね」
「ね」
二人に残された時間は決して長くはないけれど、きっと沢山の思い出ができるはず。そしてそれは、ずっと二人の中に大切な財産として残るはず。
二人の背中は、昨日よりも一回り、大きくなったように見えた。
道路には、そんな二人の影が、長く伸びていた。
2011.5.31 fin.